2020.11.08|旅の記憶は たいてい 温度のかたちをしている

– 奚月藁 –

旅の記憶は
たいてい
温度のかたちをしている
  Memoria itineris saepe formam caloris capit.

2020.11.08

白い湯気が
杯の上でほどけてゆく。

水は
火に触れて
やわらかな香りを持つ。

ゆっくりと
それを口に運ぶと、

朝は
まだ完全には
形を持たない。

石の部屋の中で
人は
横になっている。

熱は
言葉を持たない。

ただ
体の奥へ
ゆっくりと沈んでゆく。

時間は
そこで
少しずつ
ほどけてゆく。

遠くで
熱い風が
一瞬だけ
空気を揺らす。

人は
汗を流しながら
何も考えない。

体よりも
心のほうが
先に軽くなる。

湯の中で
体を沈めると、

一日の輪郭が
ゆっくり
ほどけてゆく。

外の世界では
人が集まり
光が並び
声が交わされている。

だが
今日という日は

それらすべてより

静かな熱の中に
残っている。

もう一度
体を温める。

熱は
人の中に残り、

ぬくもりは

静かな灯のように
続いてゆく。

一日の終わりに
残るものは

出来事ではなく

誰かと
同じ温度で
過ごした
時間である。

– 奚月藁 –

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